九州大学大学院医学研究院 耳鼻咽喉科学 九州大学病院 耳鼻咽喉科・頭頸部外科
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耳鼻咽喉科について

ごあいさつ
教授 小宗静男-写真
教授 小宗静男
 九州大学医学部耳鼻咽喉科は東京大学から赴任した久保猪之吉により1907年に東京大学、京都大学に続いて日本で3番目の帝国大学耳鼻咽喉科として開設され、100周年を迎えようとする、日本でも有数の伝統ある耳鼻咽喉科学教室であります。この間、多数の教授を全国に輩出し、数多くの世界的業績を積み上げてきた歴史を持っており、現在も脈々とその伝統が受け継がれております。
 わが教室は基礎研究はもちろんではありますが、それだけではなく臨床の九大としてもその名をとどろかせて参りました。耳鼻咽喉科分野は耳科学、神経平衡科学、鼻科学、喉頭・咽頭科学、気管食道科学、音声言語学、、頭蓋底外科学、頭頚部腫瘍学、形成外科学ときわめて広い分野を取り扱っておりますが、このすべての分野をひとつの大学で網羅し、そのそれぞれで日本の一流のレベルを保持しているのは九州大学を除いてはほとんどないといっても過言ではないといえます。特に、耳科学の中耳手術における鼓室形成術やアブミ骨手術、錐体尖端手術のような側頭骨頭蓋底手術、悪性腫瘍のFAR療法、音声喉頭手術、嚥下機能改善手術においては九大方式というべき独自の理論にもとづく手術方法、治療方法を開発し全国でも群を抜く成績を誇っております。
  九州大学の耳鼻咽喉科学教室の目標は、まず第一に優れた臨床医を育てることにあります。それには知識、技術の取得はもちろんでありますが、人としての礼儀をわきまえた人間であることが何より第一と考えております。第二は優れた臨床医でありかつリサーチマインドを持った人物を育てること、すなわち、科学的思考のできる臨床医ということです。そういう意味で、すべての人に臨床だけでなく基礎研究に打ち込んでもらうことを必須にしております。世界と戦うレベルの研究を目指していることはいうまでもありませんが、臨床家としての視点を生かした研究が重要だと考えております。可能な限り、一人でも多くの人に海外留学をしてもらいたいと考えてます。第三にバランスの取れた臨床医を育てることにあります。どういうことかといいますと、自分の得意の分野で一流でも、他の分野のことはさっぱりわからないという人が多いのですが、われわれの教室では、得意の分野は一流に、そして他の分野も平均的なことはすべてこなせるように育てる、そのような教育をしております。

九州大学耳鼻咽喉科の沿革
九州大学の創立は、明治36年4月に福岡県立病院を母体として設置された京都帝国大学福岡医科大学に始まる。ついで、明治44年工科大学の設立とともに九州帝国大学医科大学となり、さらに、大正8年4月1日以降九州帝国大学医学部、昭和22年10月1日より九州大学医学部と改称され今日に至っている。

耳鼻咽喉科学教室は明治39年4月23日に開設され、初代教授久保猪之吉により翌年2月19日から診療が開始された。


 久保 猪之吉(くぼ いのきち)初代教授 明治36年就任

画像 明治7年12月26日に福島県に生まれた。明治33年に東京帝国大学医科大学を卒業、明治34年に東京大学耳鼻咽喉科教室の助手となり、明治36年にドイツのフライブルグに留学、グスタフ・キリアンのもとで助手を務めた。明治40年に帰国、京都帝国大学福岡医科大学耳鼻咽喉科の初代教授に就任し耳鼻咽喉科学教室を開設した。同年には日本初の気管支異物の直達鏡下摘出に成功した。

昭和9年の定年退官まで世界的な耳鼻咽喉科のリーダーとして活躍し、画像多くの教科書、日本語論文、ドイツ語論文を発表、専門雑誌「耳鼻咽喉科」を創刊するとともに、門下生から15名の教授を輩出させた。昭和2年に紺綬褒章、昭和9年にフランス、レジオンドヌール勲章を授与された。

昭和10年に退官し、昭和14年11月12日に東京で65歳の生涯を閉じた。同年には勲二等旭日重光章を授与された。久保猪之吉先生はアララギ派の歌人「ゐの吉」としても著名であり、代表作として「春潮集」がある。

 笹木 実(ささき みのる) 第2代教授 昭和10年就任

明治30年9月16日に福井県に生まれた。大正13年に九州帝国大学医学部を卒業し、耳鼻咽喉科学教室に入局した。大正14年に助手、昭和2年に講師、昭和6年に満州医科大学助教授となり、昭和11年に九州帝国大学耳鼻咽喉科学教室の第2代教授に就任した。

頭頸部の病理学的研究や手術治療の開発を専門とし、特に200例を越える喉頭癌の治療や様々な手術器具の開発はは有名である。昭和15年には日本耳鼻咽喉科学会の宿題報告「口蓋扁桃腺摘出と其適応症」を担当し、昭和26年には西日本文化賞を受賞、昭和28年には第54回日本耳鼻咽喉科学会を主宰した。なお、昭和26年には喉頭摘出患者のために喉笛会を発足させた。

昭和31年に病気のため休職となり、昭和32年1月24日59歳で逝去された。

 河田 政一(かわた せいいち) 第3代教授 昭和32年就任

明治39年9月8日に朝鮮京城府に生まれた。昭和6年に九州帝国大学医学部を卒業、同年耳鼻咽喉科に入局し副手となった。昭和11年に講師となりドイツに留学、帰国後昭和13年に助手、昭和14年に助教授、昭和20年に九州帝国大学附属医学専門部教授、昭和21年に久留米医科大学教授、そして昭和32年に九州大学耳鼻咽喉科学教室の第3代教授に就任した。

耳科学を専門とし、音響外傷による難聴やメニエール病における自律神経異常の研究を行う一方、上顎癌の治療法の研究にも尽力した。昭和30年には日本耳鼻咽喉科学会の宿題報告「音響外傷としての騒音問題」を担当し、昭和44年に第70回日本耳鼻咽喉科学会を主宰、また西日本文化賞を受賞するなど、日本の耳鼻咽喉科学の発展に貢献した。

昭和45年に退官。昭和51年に勲二等瑞宝章を授与され、平成4年1月12日に85歳にて逝去された。

 広戸 幾一郎(ひろと いくいちろう) 第4代教授 昭和45年就任

大正7年6月21日に鳥取県に生まれた。昭和17年に京都帝国大学を卒業、同年京都帝国大学医学部外科学教室の副手となり、その後軍医として奉職した。昭和21年に京都大学医学部耳鼻咽喉科教室副手、昭和22年に講師、昭和30年同助教授となり、昭和35年より久留米大学教授、昭和46年より九州大学医学部耳鼻咽喉科学教室の第4代教授に就任した。

頭頸部腫瘍学および喉頭科学の業績は世界的に有名であり、日本耳鼻咽喉科学会の宿題報告「発声機構の面よりみた喉頭の病態生理」特に高速度映画撮影を用いた喉頭の研究はGould賞を受賞した。
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昭和52年には第78回日本耳鼻咽喉科学会および第1回日本頭頸部腫瘍学会を主宰するなど積極的な学会活動を行った。

昭和56年に退官した。

 上村 卓也(うえむら たくや) 第5代教授 昭和56年就任

昭和6年2月22日福岡県に生まれた。昭和30年に九州大学医学部を卒業、昭和31年に同附属病院副手、昭和32年に同附属病院助手、昭和37年に同附属病院講師となった。昭和38年より東京女子医科大学耳鼻咽喉科助教授、昭和43年より米国マウントサイナイ医学校に留学、昭和48年に東京女子医科大学定員外教授、昭和50年に同主任教授に昇進し、昭和57年に九州大学医学部耳鼻咽喉科学教室の第5代教授に就任した。

研究領域は神経耳科学を中心として耳鼻咽喉科、気管食道科、頭頸部外科学の広い範囲に亘っており、特に脳幹の平衡中枢の研究は世界的に有名である。昭和52年には日本耳鼻咽喉科学会宿題報告「メニエール病、病態と治療」を担当し、平成3年には第92回日本耳鼻咽喉科学会を主宰するなど、幅広い領域で活躍した。 平成元年〜3年には九州大学医学部附属病院長を務め、平成4年に退官した。
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 小宮山 荘太郎(こみやま そうたろう) 第6代教授 平成5年就任

画像 昭和14年10月19日に岡山県に生まれた。昭和39年に九州大学医学部を卒業、昭和45年に同附属病院助手、同52年に同耳鼻咽喉科講師、昭和61年に米国ワシントン大学耳鼻咽喉科に留学した。平成2年に助教授となり、平成5年に九州大学医学部耳鼻咽喉科学教室の第6代教授に就任した。

研究は頭頸部外科学を初めとして音声や嚥下の研究と臨床など幅広い領域に及んでいる。特に放射線療法に化学療法およびVitaminAを併用した放射線化学療法(FAR療法)を開発し、頭頸部腫瘍の治療成績を向上させたことは有名である。

平成12年には日本耳鼻咽喉科学会の宿題報告「頭頸部癌の放射線化学療法とその増強に関する研究」を担当し、平成13年には第102回日本耳鼻咽喉科学会を主宰した。平成15年に退官した。

 小宗 静男(こむね しずお) 第7代教授 平成16年就任

昭和25年11月25日に長崎県に生まれた。昭和50年に九州大学医学部を卒業、昭和52年に宮崎医科大学助手、昭和54年から57年までアメリカ合衆国ペンシルベニア大学医学部耳鼻咽喉科に留学した。昭和58年九州大学医学部附属病院耳鼻咽喉科助手、平成2年同講師、平成5年同助教授、平成9年宮崎医科大学医学部耳鼻咽喉科学講座教授を経て平成16年九州大学大学院医学研究院耳鼻咽喉科教授に就任した。

研究領域は聴覚電気生理学である。臨床の専門は中耳手術を中心に広く頭頚部外科、聴神経腫瘍手術、頭蓋底手術など広範囲にわたっている。


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