福岡県地方部会

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沿革

沿革

福岡県地方部会は日本耳鼻咽喉科頭頸部外科学会の前身の大日本耳鼻咽喉科会の九州地方会として明治42年に発足した。初代会頭は当時の福岡医科大学耳鼻咽喉科教授の久保猪之吉であった。同年には東京地方会と関西地方会も発足している。

第1回集会は同年10月19日に開かれ、中耳結核、後鼻孔ポリープ、進行性延髄球麻痺など現在でも興味深い演題が発表されている。

同年12月には第2回集会、翌年には第3回、第4回が開かれ、海外来賓の講演や医療器具展示会も開催されていた。明治43年の第5回集会では演題数が20を越えていた。

以後九州地方会は順調に発展し、昭和2年に発刊された久保猪之吉主宰の「月刊耳鼻咽喉科」には第85回集会の抄録および60名におよぶ出席者が記録されている。集会は多いときは毎月のように集会が開かれたため、昭和3年には地方会は第93回を数え、東京地方会の87回を凌駕するなど活発であった。昭和10年の第149回集会からは笹木実九大教授が第2代会頭となったが、その後の困難な状況下でも頻繁に集会が開かれ、戦中の昭和17年にも8回の集会が記録されている。

昭和22年には大日本耳鼻咽喉科会が日本耳鼻咽喉科学会に改称されたのに伴い、昭和23年からは日本耳鼻咽喉科学会九州地方会となり、学術後援会は年4回開催されることになった。また昭和22年からは毎年1回は久留米大学で開催されることとなり、昭和29年からは長崎・山口地方会との合同地方会が開かれている。

昭和34年には河田政一九大教授が第3代会頭となったが、地方会はその後も順調に発展し、同年には九州地方会創立50周年記念第281回講演会を催した。このころから関連事業として地域医療に貢献する活動を開始している。まず昭和33年3月3日には第1回「耳の日」講演会や無料相談や検診がはじまっており、昭和37年8月7日からは「鼻の日」の無料相談も加わった。

昭和46年には広戸幾一郎九大教授が第4代会頭に就任した。昭和49年に九州地方会は都道府県別の単位組織としての地方部会に改組された。昭和57年には上村卓也九大教授が第5代会長に就任し、平成5年には小宮山荘太郎九大教授が第6代会長に就任した。地方部会規則により会長は九大教授と兼務であったが、平成6年に細則が変更され、会長は福岡県内の4大学の主任教授および福岡県耳鼻咽喉科専門医会会長のなかから選出されることとなった。平成16年より小宗静男九大教授が第9代会長に就任した。平成29年より中川尚志九大教授が第10代会長に選出されている。

学術集会

学術集会は年3回行われており、活発な討論が行われている。うち1回は、九州連合地方部会を兼ねている。7月の九州連合地方部会で九州・沖縄各県より各大学が集まって野球大会などの催し物が行われるのが恒例であった。令和2年は新型コロナウイルス感染症の拡大への対策のため4月および7月の地方部会開催を中止した。令和3年4月からオンラインでの学術講演会を催し、感染対策に留意した交流の場を維持している。

地域医療への貢献

耳の日の活動

昭和33年より毎年、耳の日にはポスター配布や掲示に加え、各分会でユニークな活動を行っている。福岡分会ではアクロス福岡において、福岡耳鼻咽喉科専門医会(五孔会)主催の「耳の日イベント」に協力している。イベントでは聴力検査、ティンパノメトリー、補聴器、内視鏡、花粉症、中途失聴者、情報通信などのコーナーと無料医療相談と、多彩な催しを行なわれている。

また人工内耳、難聴と補聴器、こどもの中耳炎、老人の難聴と耳鳴、めまいの話などについて講演会も開催されている。その活動はマスコミへの広報と共に新しい試みとしてインターネット上に公開されている。また北九州分会や筑後分会も福岡県耳鼻咽喉科専門医会と共催で、「耳の日フェスティバル」をなどが開催されている。聴力検査、内視鏡、花粉症などのコーナーと無料相談の他に、講演会が行われている。

学校検診および三歳児検診

学校保険委員会では、「福耳会」担当理事と協力し、学校検診では大きな成果を挙げてきた。また三歳児健診に対しても会員数の問題があるが、現在積極的に取り組んでいる。

広報活動

地方部会広報委員会では、耳の日、鼻の日のイベントに協力すると共に、会員名簿を作成している。 また会員にFAXを自動的に配信するシステムがすでに稼働しており、ENTファックスや種々の文書配布を効率的に行っている。

さらに耳鼻咽喉科疾患や人工内耳の啓蒙を含め、地方部会の広報などの事務局の活動をインターネット上で行っている。